このコロナ禍では最近、リモートワークやテレワークといった言葉が頻繁にニュース記事で見かけるようになりました。それ以前にもブログやSNSは世間では全盛のようで、インフルエンサーと呼ばれる人達はかなりの収入を得ているのだとか。仕事にせよプライベートにせよ外に出かけることがままならないず、又勤めている会社からの収入だけに頼ることのリスクを考えると、「家での時間を有効に過ごせて、かつ、収入の見込めるツールや技術を持つべきなのかもしれない」。
ついったー?いんすた?ふぇいすぶっく?まったくのアナログ人間の自分は急に焦りだしたわけです。完全に取り残され感のある自分にできそうなものはと思い立ったのがブログです。ブログを収益化するのは大変そうですが、ブログ=日記と捉えるならハードルは低そうな気がしました。さっそくネットで拾った作成方法なる記事を読んでいるとサーバー契約に自分のドメイン名を設定するというところでつまずいてしまいます。さて何にしようか・・・。
これといってテーマを決めているわけではないので「なんでもいいか」と、まず頭に浮かんだのが屋号です。
母の実家の屋号は「やんごろ」といいます。田舎の農家では名字の同じ家がご近所のあちこちにあり、「やんごろ」のところの「三郎」と言って個人を特定・判別していました。小さいころ母に「何でこんな変な名前なの」と聞くと「そういう屋号なんだよ」という掴みどころがない返事が返ってきただけと記憶しています。初代の下の名前を短縮形あるいは方言で呼び、その口語体がそのまま屋号になったところが多いらしく「やんごろ」の場合もおそらくは同じ経過でつけられたつけられたものだと仮定しています。詳しいことは親戚に会ったときにそれとなく聞いてみることにして、最近では何となく「暖かくて優しい屋号だなあ」と感じています。
さらに、営業という側面で、会社の商号の由来について調べてみることで参考にしようと思ってしまったわけです。商号は個人事業者や会社が営業上自己を表示するために用いる名称だからです。日本や世界で名の通った企業の創設者は理念や志し・目標等という思いを込めているのだろうと想像していましたが必ずしもそうではないようです。
創業者姓を由来としたものが多く例えばブリヂストンの場合、創業者の石橋姓を単純な英単語に置き換えたものであったり、ブラザー工業株式会社の場合では「安井ミシン兄弟商会」から改称したようです。かわったものではGoogleの場合、最初googol.comとドメインを取得するつもりが間違えて取得したのが始まりだとか。もちろん熟慮の上でその社名になったのかもしれませんが。
そうこうしているうちに二日ほどブログの立ち上げが停滞していました。結論、こうしてドメイン名にこだわって時間を費やすのは意味のないことだと気ずきました。
何故かと言いますと、私たちが屋号を使っているのはその地域の慣習であったり、故人を偲んでいるときに使います。「やんごろの爺さんはよう働いたけど酒飲みやったね」とかフォーカスしているのはあくまで個人です。また親しみのある企業の商号を呼んでいるのはその商品あるいはサービスが素晴らしいものであるためです。(そうでなければ企業自体が存在していません)
この記事を読んでくださった方たちの中には知らず知らず本来の目的を見失い時間を無駄にしていることはないでしょうか?
ビジネスでズームを利用したウェブ会議をしているようですがその会議自体は本当に必要なものでしょうか?
私の場合、ドメイン名で悩んでいたことがまさにそうでした。