目標15「陸の豊かさも守ろう」についてです。
ここ最近の運動不足を解消するために夕食後によく出かけています。家族には「ウオーキング」と言ってますが、実際のところはゆっくりと散歩をすることを日課としているこの頃です。
何分歩くとか特にきめずに足の向くまま気の向くまま近所を散策しながら歩いていると気持ちのいいものです。
まさに「持続可能な(sustainability)」というところでしょうか。
住み始めたころの家の周りは田んぼばかりでしたが、今では住宅と田んぼの割合が逆転してしまっています。田植えを終えた青々としたすがすがしい景色や実った稲穂が黄金色に染まっている景色が、最近では自動車に乗って少し郊外に行かないとみられないようになりました。
住宅を囲む水路などはボウフラはいてもタニシやメダカなどはみかけません。「都市計画だとか地区計画だとかはもう少し何とかならんかったんかなー」と愚痴も言いたくなります。ゲンゴロウも長い間見ていません。
人の名前ではありません、水生昆虫の名前です。
私が小学生の3,4年生ぐらいだったでしょうか、少し大きめのタライに水を張ってそこに藻のついた石を配置して、メダカやアメンボなどの小魚や虫を採ってきては入れ、眺めているのが好きな時期がありました。
次は何をを採ってこようと図鑑をつぶさに見ながらみつけたのがゲンゴロウです。その愛嬌のある名前と流線形のからだがすごく気にいりました。ところがこのゲンゴロウは泳ぎも潜水も得意としていたのでなかなか見つけることができません。当時高校生だった従兄弟に頼んで採ってきてもらい何とかタライの住人に加えることができたときはとても嬉しかったことを覚えています。
それから、あれもこれもとコレクションを加えてさらには少し大きめのザリガニを同じたらいに入れて放置していましたら、ある日、お気に入りのゲンゴロウがいなくなっていることに気づきました。
当時の自分にとっては大変なショックです。慌てて母親に「ゲンゴロウがいなくなった―」とワーワー言っていると「ザリガニに食べられちゃったかもしれんよ」とさらに輪をかけてショックなことを言われてしまいました。なにせ私が欲張ってコレクションした愚かさと無知のせいなのですから。(ゲンゴロウが飛ぶこともできることは後で知りましたがそのときは他の原因は考えられませんでした)
現在ゲンゴロウをはじめ数々の動植物が絶滅危惧種に指定されています。
昔から慣れ親しんだ周りの生き物が消えてしまうことは、心の中に小さな小さな穴が開いたようなものだと思います。子供のころの些細な出来事を思い出したとき、その主人公が存在しないことがあるかもしれないからです。
名も知れない生物が数種類絶滅して私たちの暮らしや或いは地球全体にどのような影響があるのか難しいことはわかりません。ただ、心の中に空いたシミのような小さな穴がどんどん広がっていくことの重大さは感じ取ることはできると思います。
「陸の豊かさもまもろう」とは、美しい風景と空気感、懐かしい思い出、それぞれ五感で感じることで私たちの心の豊かさも守ることにもつながる気がいたします。